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青天の霹靂はうれしい驚きキャンペーン

ご当選エピソード発表!

このたびは、たくさんのご応募ありがとうございました。
厳正なる審査の結果、30組60名様をご当選とさせていただき、
青森米「青天の霹靂」をお送りしました。

当選者のみなさまの
「大切な方へ『青天の霹靂』を贈りたい理由」をご紹介します。
思わずジーンとくる話、くすっと笑えるユニークな出来事、
まさに“青天の霹靂”な驚きの経験など、
家族や友人への思いあふれる素敵なエピソードがそろいました。 ▶キャンペーンのしくみはこちら

神戸に住む大切な友人へ
青森の感動の美味しさを味わって

お互い関西の出身で、社会人になり同期入社で
同じ茨城県に配属された時から本当にお世話になっている友人です。
時を経て、今は青森と神戸と遠く離れており、
年に1回くらいは会いに行けるかなぁという状況です。

その際、お土産や青森の美味しいものを持参したいのですが、
「もらってばかりで困るよ…」と、小さな子が2人いて買い物も大変なのに、
最近何かしらお返しを買ってきてくれるのが申し訳ない状況です。
なので、こういうプレゼントなら屈託なく受け取ってもらえるのではないか!
と思いました。

青森に引っ越して来て、ここの食べ物の美味しさには本当に感激しっぱなしです。
ぜひ他県の友達にも食べて欲しいのです。
今年のこの友人からの年賀状に、「『青天の霹靂』のパッケージかっこいいね」
と書かれていたこともあって、真っ先にこの友人に贈りたい!と思いました。

3年間毎日お弁当を作ってくれた母へ
この春、大学生になった娘より

昨年、母の青森の友人が「青天の霹靂」を送ってくださり、
宮城出身の我が家の父と母は「ササニシキとひとめぼれの良いとこどりのお米だ!」と、
とても気に入り購入していました。

私の高校には学食が無いので、母は3年間毎日お弁当を作ってくれました。
お昼の分だけではなく、朝早ければ「お腹空いた時に食べなさいね」と
おにぎりも持たせてくれました。「青天の霹靂」で作ったおにぎりは、
具を入れない塩にぎりが一番美味しかったです!!
当然毎日お米を炊いているわけですが、「青天の霹靂」を使うようになってすぐに
「冷めても美味しいし、保温2日目でもお米がくっついたり黄色く変色したりせず、
変な匂いもしない!お弁当も美味しく食べられるでしょう?^^」
と、すっかり「青天の霹靂」ファンになってしまいました。
私もおかずの邪魔をしない、お米の味だけが甘すぎない美味しいお米だと思います。
母曰く、「青天の霹靂」は今まで買っていたお米よりも少々高いそうですが (^^;

そんな高校生活もあと数日で終わりです。
お米について話す事もそれほど無かった我が家が、「青天の霹靂」という
新しいブランド米で盛り上がった事(父もお米大好き人間なので^^)、
どうしても冷めてしまう私のお弁当の事を考えていてくれた母の気持ちが
とても嬉しかったですし、私の中に忘れられない思い出として残っています。
私は4月から大学生になります(只今住まい探し中)。
母のお弁当がもう毎日食べられなくなるのは残念ですが、
たまには冷めても美味しかった「青天の霹靂」の塩にぎりがまた食べたいです^^
今年はもう手に入らないのよ…とがっかりして、
ため息をついている母にプレゼントしたいです。

22年間欠かさず手編みの防寒具を
送ってくれる、親代わりの叔母へ

早くに母を亡くし一人きりになった私を、
親代わりとしてかわいがってくれた叔母です。
青森に嫁いで22年。私はもともとお米をあまり食べなかったのですが、
青森に来てお米がこんなにも味わい深く美味しいものだと気づかされました。
今ではお米を食べない日はありません。
青森県の雄大な自然だからこそ美味しいお米ができるのでしょうね。

叔母は、いつも天気予報を見ては厳しい寒さを案じてくれ、
冬には寒いだろうと手編みの帽子やマフラーを
22年間欠かさず送ってきてくれています。
そんな叔母に青森の良さを感じてほしく、本当のお米の味を味わってほしいです。

亡き父との思い出を甦らせてくれた
「青天の霹靂」で、母を喜ばせたい

74歳の母親は足腰が弱くなり、八戸の朝市やデパートにも
簡単に出かけられないここ最近の毎日です。
近所のスーパーや食料店に、足に不自由を抱えながら
時々買い物に出掛ける姿を知っているので、
重い米、ましてや美味しい米が届いたら、どれだけ嬉しいかと思いました。

8年前に亡くなった父親は、25〜40年前は、
夏は北海道、秋冬春は東京と出稼ぎ三昧でした。
短い八戸滞在の後は、母親が握り飯を10個程持たせて
勤務地へ送り出すんですが、いつも3〜4個多く握って、
八戸駅に見送りに行って戻ってくる自分と妹の分まで家に用意していました。
そのおにぎりは温かいうちは美味しいんですけど、
大概食べる頃には時間経過で冷めて硬くなり、
梅干のしょっぱい味が特に印象的でした。
時々父親は電車の出発間際に、まだ温かい10個のおにぎりのうち
1個ずつを「母さんに内緒な、すぐ食べるんだぞ」
と自分と妹の服のポッケに入れてくれたのでした。

そんな昔の思い出が甦ったきっかけが、昨年の11月末 にありました。
二十数年前の八戸〜東京時代の知人から
「青天の霹靂」の手作りおにぎりをもらったんです。
実は冷えていたんですけど、柔らかくて口の中で弾けて香りも甘さも残り、
温かいおにぎりよりも美味しい、過去に記憶が無い程の感動でした。
こんな米が、25〜40年前の八戸で多少なりとも流通していたら、
父親も出先で冷えたおにぎりを美味しく食べられたのになあ、と思ったりもしました。
という訳で、老い先短いであろう母親に少しでも孝行出来ればと思いました。
買うのは手段さえ考えて用いれば容易でしょうが、
当選することには更なる価値があると思う次第です。

青森で出会い、今は離ればなれの恋人に
感謝の気持ちを伝えたい

私が恋人であるSさんを喜ばせたい理由は、日頃の想いを伝えたいことと、
調理師で料理が大好きな彼に、過去に住んでいた青森の味を楽しんでもらいたい!
と考えたからです。

私たちは2014年の夏に知り合い、そこからお付き合いをさせていただいたのですが、
当時の私は元交際相手との出来事がトラウマとなって異性を拒絶しておりました。
そんな私に再び愛することの喜びを教えてくれたのがSさんです。
私のペースに合わせて交際を進めてくれ、次第に青森の観光スポットへでかけたり、
おいしいものを食べたり・・・家へ遊びに行くととても美味しい手料理をふるまって、
時には一緒に教えてもらいながら作って。
高熱で無理に仕事へ行った時は22時の終了時刻まで車で待ち、
歩いて帰れる距離なのに、家まで送り届けて、
たくさんの薬と、食欲がなくても食べられるご飯を準備してくれ、
治るまでつきっきりで離れなかったこともありました。

今は将来のことを考え、私は青森、Sさんは愛知で
それぞれ実家暮らしをしながら仕事をしているため、会えるのは年に数回ですが、
私が寂しい思いをしないようにと常に気を配って関わってくれるSさんへ、
感謝の気持ちを伝えたいと思います。
また文頭でも記しましたが、彼は調理師免許を取得しており、料理がとても上手です。
残念ながら「青天の霹靂」が世に出回る前に愛知へ帰ってしまいました。
こんなにおいしいお米を彼は味わうことなく行ってしまったので、
住んでいた青森の新しいお米を食べてもらい、
青森で過ごした日々を思い出してもらうのと、料理という特技を生かして
「青天の霹靂」をアレンジしながら楽しんでもらえたらいいな・・・
というのが私の希望です。

我が家に“青天の霹靂”を
もたらしてくれた娘婿殿へ

我が家の“青天の霹靂”は7年前の春、千葉在住の次女が結婚前の顔合わせに
彼(もちろん今の旦那様)と彼のお母さんと三人で来たときでした。

彼はその4ヵ月ほど前に娘と結婚の許しを得に来たので2回目でしたが、
彼のお母さんとは初めてお会いしました。
自宅に着いて両家の挨拶の時、彼から私に
「お父さん、私にS家の姓を名乗らせてください」と言ってきました。
この事は娘にも彼のお母さんにも言っておらず、皆初めて聞くことでした。
私たちにとってまさに“青天の霹靂”でした。

我が家は三人娘で、私は妹との二人兄妹、そして妹も子供は女の子で、
S家の姓は我が家においては途切れてしまうとは思っていました。
彼も長男ですが、弟さんがいるので、彼の姓が途切れる心配は
とりあえず無いようですが、お母さんもびっくりなさっていました。
後から聞くと、娘は結婚を前提で付き合っている頃から
「S家の姓は名乗り続けたい」と言ってくれていたそうですが、
彼が決めたのは青森に向かう新幹線の中でだそうです。
彼も娘も警察官で、男社会での姓を変えるのは勇気がいることだと思い、
本当に感謝しています。そして我が家のことを思い、20数年間名乗ったS家の姓を
名乗り続けたいと思ってくれた娘の気持ちが親としてとても嬉しく思います。

そして今では娘に男の子と女の子が誕生して、
私たちが健在のうちはS家の姓も健在だと安心しています。
その大切な婿殿と娘と2人の孫にふるさと青森の美味しいご飯を
食べてもらいたいと思います。

修学旅行で驚かせてくれた京都の従姉妹へ
青森からサプライズのお返しを

毎年、冬休みには京都から青森に来てくれる、大好きな従姉妹のHちゃん。
去年の秋、修学旅行で京都に泊まった時、
サプライズでホテルまで小学校入学前の弟君と来てくれました。
すごく嬉しかったし、短い時間ではあったけど楽しい時間を過ごすことができました。
今度は私が京都の親戚に喜んでもらえるサプライズをしたいと思いました。

45年間勤め上げ、この春退職した
真面目で働き者の高校代行員さんへ

Tさんは、昭和46年からM高校の代行員として45年間勤務しています。
1日おきに、朝早く学校を開錠し、私たち事務職員が出勤するまで
電話対応などの勤務をし、夕方私たちが退勤するときに再度出勤し、
部活の生徒が帰った後、すべての戸締まりをして、
代行員のその日の勤務が終わります。
学校の近くに住んでいて、強風が吹いたりしたときには、
勤務時間外でも見回りをしてくれていました。本当に真面目な方でした。
そのTさんが、今年の3月で退職することとなりました。

なにかTさんにお礼がしたい!喜んでもらいたい!
と考えていたところ、このキャンペーンを新聞で見ました。
すぐに「これしかない!」と思いました!
一人暮らしのTさんは、白米が大好きで、
70代になっても、どんぶりでご飯をたべていると前に聞いていたからです。
当選したら、近所の友達と一緒に味わってほしい、
県外に住む妹さんが帰省した時に味わってほしい、
一人で思いっきり食べてほしい、
退職後も楽しみをみつけて元気に暮らしてほしい!
その一助になればと思っています。

大阪在住なのに、青森が大好き!
まるで「青森観光大使」な友人家族へ

Tくんは、夫が京都での大学生時代から25年来の友人です。
Tくんは、毎年夏休みを利用して、独身時代は約1週間、
結婚してからは家族で3泊4日の青森の旅を満喫しています。
通算20回以上は来ていて、青森の隅々まで知ってくれています。

特に八甲田の谷地温泉、蔦温泉が大のお気に入りで、
旅のプランには必ず入れます。
また、嶽きみは毎年100本を地方発送してもらい大阪のご近所さんに配り、
小山せんべいを大人買いしていきます。
そしてカネショウのりんご酢は欠かさずお取りよせ。
青森が大好きすぎて、大阪の同僚の方に、新婚旅行に青森を勧めてくれ、
その同僚の方は、素敵な、熱々な青森の旅をしたそうです。

彼はまさしく、青森の観光大使です。
そんなTくんに、「青天の霹靂」を食べてもらいたい!
そして、Tくんのお子様のAくん(3歳)に、「青天の霹靂」を食べてほしい!
Aくんは食が細く、昨年の夏に遊びに来たときも
年齢のわりに食べられる物が少なくて、心配になってしまいました。
Aくんに「青天の霹靂」の美味しさを知ってもらい、
モリモリご飯を食べる子供になってほしい!!
そう願う、我が家です。

孤独な日々を支えてくれた先輩看護師へ
42年ぶりに感謝を伝えたい

私は事情があり、中卒後、青森市内の准看護学院に入学。
卒業後は仙台の病院に勤務しながら定時制高校に通学しました。
進学コースに進んで看護婦の資格取得をめざすべく、働きながら学びました。
この時に同じ病棟で一緒に勤務したのが「青天の霹靂」を贈りたいTさんでした。

8歳年上の先輩看護婦で、まるで家族のように、
寮生活をしていた私を家に招き、ご飯を食べさせてくれました。
温かい家庭の味でしたね。私が高等看護学院に合格したときも、
彼女は当時入学式の正装であった着物に黒の絵羽織で、
はるばる汽車に乗り、入学式に臨んでくれました。
その後、私はさらに進学し、保健婦や養護教諭の資格を取得し、
青森県に戻りました。

私の孤独でつらい日々を支えてくれた人なのに、
いつの間にかもう42年間もお会いしていません。
「青天の霹靂」のキャンペーンの記事を目にした時、
すぐに思い浮かんだのは彼女のことでした。
たくさんの温かいご飯をごちそうになった人に・・・
でもきっとほんとに驚くと思います。

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大けがをし、リハビリを頑張る兄へ
青森の妹から元気を送りたい

去年の 5月末、兄が脚立に上ってご近所にお願いされた木を伐採していたところ、
誤って2メートル下のコンクリートへ頭から転落。
一時は意識不明の重体でしたが、地元の大学病院が近かったので処置が早く、
なんとか一命は取り留めたものの、脳挫傷を負う大けがをしてしまいました。
それからほどなくして、「高次脳機能障害」と診断され、
高卒で地元を離れて以来まじめ一筋に勤めあげてきた勤務先も
休職を余儀なくされている状態が続いています。

勤務先も一年以上は待ってはくれないのではないか、という不安を抱えながら、
それでも生来まじめで頑張り屋な兄は復職を目指し、
主治医の太鼓判をもらうために必死にリハビリに取り組んでいます。
遠方であるため何度も出向くこともかなわず、
去年の6月に一度会いに行ったきりです。
4カ月に一度くらいはメールをくれるのですが、
自分の目で見ているわけではないので、心配でたまりません。

今の状況など聞きたいのですが、辛さをこらえているであろう
本人の気持ちを思うと、なかなか聞くことができません。
落ち込んでいるであろう兄に、故郷青森のおいしいお米で元気を出してもらいたく、
また、これをきっかけに近況を聞かせてもらえることを期待します。
兄の脳に青天の霹靂が響いてほしいです。

女手ひとつで育ててくれた母への結婚報告を
「青天の霹靂」とともに伝えたい

一年の同棲期間を経て、先日プロポーズを受け、
今年結婚することが決まりました。
婚約者の親御さんは知っているのですが、私の母にはまだ伝えていません。
入籍日は未定ですが、女手ひとつで育ててくれて、
結婚に対してあまり関心を見せなかった私に痺れを切らし、
「孫が早く見たい」という母を、
少しでも安心させてあげられたらなぁと思っています。

ただ「結婚することになりました」と言うだけなのに、
その切り出すタイミングがわからなくて、なかなか言えずにいます。
この機会にびっくり&安心させてあげられたらと思い、応募いたしました。

マイペースな親友の人間的成熟に感動
うれしい“青天の霹靂”をくれた彼女へ

大学からもう10年近くの付き合いになる親友の結婚が決まった。
相手は髪結いという特殊な職業を生業として、
一年のうちに半分は全国に出張に行っているような人だ。
そこで私が驚かされたのは、彼女が相手のご両親との同居を決めたことだ。
マイペースで末っ子のあまえた彼女が、相手がより活躍できるよう
縁の下からサポートをしていきたいとのことであった。
何かをしてもらう人であった彼女が、してあげる人になっていたこと、
一緒にいたはずなのに気づいていなかった彼女の人間性の成熟を
こんなかたちで見つけたことが私の“青天の霹靂”であった。
嬉しい驚きをくれた彼女に、生産者の方々の積み重ねが新しい味を生んだ
「青天の霹靂」を是非食していただき、
美味しい驚きをプレゼントしたいと思いました。

青森から東京へ「青天の霹靂」を背負ってきた母!
今度は私がびっくりさせたい

母は、ごくたまに夜行バスで東京にやってくる。
ただでさえ長いバスでの旅程なのに、
ある日、「どうしても食べさせたかったから」といい、
なんと5kgの「青天の霹靂」を一人で持ってきた。
なんだかおかしくって、「送ればよかったじゃん」と笑ってしまったが、
母は大真面目に、「びっくりさせようと思って」と。
私の家の小さい炊飯器で炊いてくれて、
すぐに食べたご飯がとにかくおいしくて。
今度はわたしがびっくりさせたいと思って応募しました。

新米のつもりが古米を送ってしまった…
お嫁さんの祖母に、今度はNO.1のお米を!

昨年秋、お嫁さんが岡山の祖母に「新米送るね!」と言って、
平成26年産の古米の精米したてを新米と勘違いして送ったのです。
「おいしかったよ!」と言って下さいましたが、
その後新米じゃなかったとは言えず申し訳なく思っています。
この機会に青森ナンバーワンのお米で驚かせたいのです!!

8年の断絶を超えて和解した娘と
ふるさとの「青天の霹靂」で親子の縁を喜びたい

私が特A「青天の霹靂」を送りたい相手は、神奈川に住んでいる娘です。
娘は大学卒業後、氷河期といわれていた就職活動に懸命に取りくむも、
「はじき飛ばされては挑戦」のくり返しでした。
派遣社員というスタートで、会社から次々と要求される資格取得に
猛勉強の日々を送り、経済的にも切羽詰ってギリギリでした。

青森-神奈川は遠く、言葉の行き違いから、娘は私達を拒み続け、
親子は断絶状態になってしまったのです。
しかし、私は年4回、8年間(そして今も)りんごを送り続けました。
娘の体調を気遣ったこともありますが、何より安否を確認するためだったのです。
郵便局から配達済の案内がくると「あ、生きている」と胸をなでおろしたものです。

そんなある日「青森県育英奨学会」から一通の郵便物が届きました。
それは娘が8年かけて返した返還終了通知でした。
貧しい給料の中から、親子断絶状態の中からよくぞ返してくれた。
借りたら返すという義務を守り続けてくれた・・・。胸にぐっとくるものがありました。
この正直さは、青森県産品「青森の正直」そのものではないでしょうか!

去年の夏、帰省した娘と8年ぶりに再会をはたし、ただだまって抱きあいました。
永い永い年月を経て、和解した娘に「青天の霹靂」を送って
できれば親子の縁を喜びあいたいものと思っております。

初孫が驚きの『三つ子』だった妹に
驚きをお返ししたい

1月、妹に「初孫」が出来て大変慶ばしいのですが、
なんと『三つ子』で、驚かされました。
兄としては、お祝いに「天下の名品/青天の霹靂」を贈って、
驚きのお返しをしたいです。

親代わりの祖父母は食べることが楽しみ
お米のサプライズで喜ばせたい

私は両親が離婚しており、両親には新しい家族がいます。
行き場を見失った私を受け入れて、親代わりとして育ててくれたのが祖父母です。

祖父母は、歳のせいもあり、自動車の免許返納をしています。
私が足となり病院や買い物、休みの日には3人でよく出かけていました。
しかし、昨年、私が結婚し、遠方に引越したため、祖父母は家にこもりっきりの生活です。
楽しみの少ない生活で、食べることが貴重な楽しみとなっています。
そんな中サプライズで、2人が喜ぶ姿がみたく、
このキャンペーンに応募させていただきました。
お米へのこだわりが強く、わざわざ自転車でお米やさんに
買いに行くほどなので、
きっと大喜びしてくれると思います。

嫁ぎ先の美味しいものを福岡の祖母に贈って
青森は素敵なところだと知ってほしい

私はついこの3月はじめ、福岡から青森の弘前へと引越してまいりました。
青森県人の主人と結婚をしましたが、
主人の職業が船乗りで、何カ月も家に帰って来ないこともあり、
子供ができ、慣れない青森の土地での出産は大変だからという理由で、
先日まで福岡で一人暮らしをしている祖母の家でお世話になっておりました。
長男が3歳になり、幼稚園の入園に合わせ、主人の家のある弘前へと引越しをしました。
ひ孫である長男が産まれてからの成長をずっと見守って居てくれていた分、
別れの時は本当に寂しそうに、「頑張ってね・・・」といってくださった祖母。
ずっとお世話になった祖母へ、私が嫁いだ先にはこんなに美味しい食べ物があり、
とっても素敵な所なのだということを知ってもらいたいと思い、
この企画に応募をさせていただきました。

けがの後遺症が残る手でおにぎりを
作ってくれた母に感謝を伝えたい

私が小学生の頃に母が大きな事故に遭い、奇跡的に命に別状は無かったものの
腕から下、手や指先まで痺れて麻痺する後遺症が残り、
それまで大好きだったお料理が一切作れなくなりました。
母は調理師免許や管理栄養士の資格を取るほど「食」を大切にする人で、
どんなに忙しくても毎日のお弁当作りや毎食の献立も必ず手作りしてくれていたので、
本人はもちろん私も驚きやショックを隠し切れず必死になって料理を覚えた記憶があります。
それからは私か父が料理を作るようになったのですが、事故から2年後の私の誕生日に
普段通り家に帰ると部屋中が飾り付けられていて
食卓には彩り豊かなメニューが並んでいました。
唖然としている私に母が申し訳なさそうに「いつもごめんね、ありがとう…」と。
確かに良く見ると形は不格好でしたが、父から聞くとずっと夜中まで自分で出来るリハビリや
料理の練習をしていた、一緒に何百個もおにぎりを握ったよと言われ
涙が止まりませんでした。
力を入れられない母の手で握られた緩いおにぎり。ですが塩加減や具材の量は
一口で母が作ったと分かる美味しさで、どのお料理よりも記憶に残っています。
今では結婚し、子供も生まれて三世帯で暮らしていて私自身も
母と同じく調理師免許・管理栄養士の資格を取って
病院や介護施設で提供される食事を作ったり、
小規模ながら体に不自由のある方でも参加出来る料理教室を自宅で開いています。
4月は母の誕生日なので、今度は私が美味しいお米で
感謝をたっぷり詰め込んだおにぎりを握って食べて貰いたいです!

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驚きの「おもてなし精神」を発揮してくれた
80代の友人を驚かせたい

私が東京へ出掛ける予定が立つと、連絡を入れて、
時間が許されれば食事をご一緒させてもらっている友人です。
彼女とは趣味を通じて出会いました。もう20年以上の付き合いです。
昨年の11月もお会いすることが出来ましたが、
今回は「東京で一番美しいと思っている三宅坂を歩いて見せたい!」
ということで、食事休憩を除くと、なんと3時間以上歩き通したのです。
目的の建物を迷いながら警備員に尋ねながら、
霞ヶ関、皇居前広場から丸ノ内方面へ妥協なしで歩き続けて、
さすがに私もいよいよスマホで地図を出して見せてみたりして・・・。
彼女の健脚ぶりはよく知ってるけれど、今回は本当に凄いと思いました。
目的のビルに着いて、エレベーター前で初めて「ちょっと掴まっていいかしら」と笑顔で息切れ。

好天に恵まれ、最初こそ能天気で景色を堪能していましたが、
後半は目的を果たそうと諦めない彼女を見守ることでいっぱいでありました。
遠方からのお客さまに対する、おもてなしの精神を目の当たりにした、
忘れられない出来事となりました。
私も驚かせたいです。
正直、お礼状だけでは埋められない気持ちがありましたので、
このキャンペーンを知り、応募いたします。

「お米を返してくれ」と言ってくる上司に
青森のお米でびっくりさせたい

会社の上司であるSさんが「米をたくさん貰ったので持っていっていいよ」
と言ったので、段ボールから持って帰りました。
次の日、米違いだったらしく「返してくれ」と言われました。
私が持って帰ったのは、特においしいブランド米だったらしく、
あれから2年経ちますが、いまだに何かあると米を返せと言われます。
私は、今は東京在住ですが青森出身です。
Sさんに、青森の米を食べさせて、びっくりさせたいです!!
青森にだってうまい米があるんだ!!と
青森の米を返したいのです。
離れてから20年近くなりますが、青森大好きです。
青森の米が認められるのは本当に嬉しいです。

悲しい驚きが沢山あった昨年、
生きる力をくれた娘に嬉しい“青天の霹靂”を

昨年は本当に大変な一年でした。
前年暮れに倒れ入院中の長男の快癒を祈りながら、
長女家族、長男家族、私達夫婦と8人で年を越したものの、
皆の祈りが届くことなく、1月6日長男は還らぬ人となりました。
その涙も乾かぬ5月20日、今度は主人が急な病で倒れ
長男の元へ旅立ってしまいました。

長女は正月には生後6か月だった幼子を抱き、葬儀、何度もの法事、
そして又葬儀、法事と東京から何度も青森に足を運んでくれました。
その間、病気ひとつせず、大人しく頑張ってくれた孫。
おっぱいを飲むことしか出来なかった孫も一人前にご飯を食べ、
おしゃべりも上手にできるようになりました。
毎晩くれる電話で孫の成長の様子を知り、
娘の心遣いを有難く思い、生きる力を貰っています。

悲しい驚きはもう沢山です。
今度は嬉しい「青天の霹靂」でびっくりさせて
感謝の気持ちにしたいと思い応募しました。

“青天の霹靂”の妊娠報告してくれた大親友に
お祝いの気持ちを込めて

中学生からの大親友。今は遠く離れていて、なかなか会えないけど、
なんとか年末年始は都合を付けて会うようにしています。
昨年、年末に会ったときのこと。
いつもはコーヒーを頼む彼女が珍しくオレンジジュースを頼んでいて、
あれ?と思いました。
「オレンジジュースなんて珍しいね?」と何気なく聞くと、
恥ずかしそうに「実はね、赤ちゃんができたの」と!
まさにその一言は“青天の霹靂”。昨年で一番びっくりうれしいニュースでした。
今月の3月12日に無事に入籍した彼女。待望の赤ちゃんは7月に生まれる予定です。
入籍のお祝いの気持ちを込めて、
彼女とおなかの赤ちゃんに「青天の霹靂」をぜひプレゼントしたいです♪

出会いは転勤先の青森の田んぼ道、
今でも仲良しの友人に懐かしい青森のお米を

私と、Mちゃんの出会いは青森でした。
お互いの旦那さんの転勤で東京から引越して来た者同士だったのです。
勿論、お互いの旦那の会社も違います。
そんな私達が出逢ったのは、毎日通る田んぼ道を歩いている時でした。
何度かすれ違った事があったので顔なじみでした。
地方の人は近くに行くにも車ですが、東京人は常に歩きが普通です。
あまり歩いている人がいない中で、道端で遭遇する彼女に、
思い切って声をかけたのは私の方でした。
立ち話をしてみると、Mちゃんも私と同じ境遇でビックリし、
すぐに意気投合しました。それからは、友達も頼る人もいない生活が一変し、
近所に住んでいた事もあり、家族ぐるみで親しいお付き合いをさせて頂き
青森生活も楽しい毎日でした。
そんな彼女とは、お互い東京に戻った今でも会い、
懐かしい青森の話をします。
お互いの故郷のような青森米が届いたらすご~く喜ぶ事でしょう!
せひ、プレゼントしたいです。

夫は「青天の霹靂」のデビューの日に手術、
そして他界、義母とともに前に進むために

私の夫は昨年10月8日に急性大動脈解離になり、
10月10日に大手術をして、3ヶ月弱の入院生活をして
病気と闘ってきましが、感染症におかされたため、
自宅に帰りたいという希望もかなわずに1月2日に他界しました。
27年の結婚生活でした。ほとんど毎日弁当を仕事場に持って行き、
朝ごはんも毎日食べる、ごはん大好きな夫でした。

まさか亡くなってしまうとは夢にも思いませんでした。
10月10日という「青天の霹靂」のデビューの日、
私たちにとっても忘れられない長い1日でした。
元気になったらみんなで食べたいと思っていたのに、とても残念です。
天国に行ってしまったけど、仏壇にだけどお供えできたらと思って応募しました。
息子の「泣いてばかりいたらお父さん困るでしょ」の言葉に
ハッとして前に進むしかないんだ!と思いました。

東日本大震災の“青天の霹靂”を喜びに変え
美味しい驚きを母と分ち合いたい

5年前の東日本大震災は、まさに“青天の霹靂”でした。
お互いが無事かどうかの確認もままならず、食料は手に入らなくなって…。

幸いにも無事に生きてこられた今こそ、“青天の霹靂”の驚きを、喜びに変えたい。
今は離れて暮らしているけれど、「青天の霹靂」の美味しい驚きを一緒に分かち合いたい。
何度も二人で青森へ旅行したときの想い出話を肴にしながら。

僕の夢のために高い授業料を払っている
両親に僕でもできる恩返しを

僕は専門学校に通っています。
高いお金を払ってでも、僕の夢を叶えるために学校に通わせてくれてる親に
お金が無い今の僕でも出来る恩返しをしたい、と思っている時に応募サイトを見ました。
僕の親は仕送りでお米やお菓子などをいつも送ってくれます、
そしてその中にはいつも手紙が入っています。
僕のことを気遣ったメッセージが書かれていて、
毎回送られるこの手紙を見るたびに、遠くに居ても見守られている気がします。
僕もいつも父さんと母さんを気にかけてるということ伝えたいと思って応募しました。

東日本大震災後、東北のお米を使ってくれた
料理教室の先生へ、感謝の気持ちを

青森を離れて京都へ住み10数年。東日本大震災後、
様々な現実に胸を痛めていました。
色々なニュースで、一部ですが東北の食べ物を嫌がる方達を見てきました。
それぞれに考え方があるとはわかっていても、
自分の故郷の食べ物が否定されるのは本当に辛いのです。
そんな時、京都の料理教室で敢えて東北のお米を使用された先生がいました。
しかも先生は京料理屋の若主人。ご自分のお店の看板を背負っている方。
教室の関係者からは、東北のお米を使うことは反対されたそうです。
この事実も生徒さん達に伝えた上で
「本当に美味しいお米だから、私は皆さんに食べてみて欲しい!」と
ハッキリおっしゃいました。
反対を押しきってまで美味しいお米だからと使って下さった事に、
私は涙が出ました。美味しい物は美味しい!とハッキリおっしゃる先生に、
私はこのお米を是非一度食べていただきたいです。
そして感謝の気持ちを伝えたいです。

会津の米農家に育った友人に
青森の米を贈って驚かせたい

会津の米農家に育ったWさんと県内のキャンプ場で知り合ったのは、もう25年も前のこと。
毎年夏になると浴衣をバイクにくくり付け、青森を訪れてはねぶた祭に参加していた。
彼とは、その後お互いに結婚した後も家族ぐるみの交流を続けている。
もちろん去年も2家族で一緒にねぶた祭に参加した。
実家で作ったコシヒカリをお土産に持ってきてくれるWさん。
きっと「青天の霹靂」に驚くはずだ。
だって、米農家に育った彼に米を贈る人なんていないだろうから。
青森を、そして青森ねぶたを愛し続けてくれているWさんに
感謝の気持ちを込めて、青森の一番おいしいお米「青天の霹靂」を贈りたい。

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